浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)1005号 判決 1982年12月09日
原告
小熊薫
被告
有限会社南中野商事
主文
一 被告らは原告に対し、各自金一七六六万六六九七円及び内金一五八六万六六九七円につき、被告有限会社南中野商事は昭和五三年一二月六日から、被告白川信夫は昭和五四年一月二三日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
一 原告は、「被告らは原告に対し、各自金三四二三万円及び内金三一二三万円につき、被告有限会社南中野商事は昭和五三年一二月六日から、被告白川信夫は昭和五四年一月二三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求原因として、
原告は昭和四八年五月一七日午前八時一〇分ころ、埼玉県大宮市南中野六四六番地先の第二産業道路車道左端で、自転車を手押しの状態で停止していたところ、後方から進行してきた被告会社従業員被告白川が業務のため運転する被告会社保有の普通貨物自動車(埼四な一〇五三号)に衝突され、歩道上にはねとばされた。本件事故は、被告白川の前方不注視により発生したものであるから、被告白川は民法七〇九条、被告会社は民法七一五条、自賠法三条の責任がある。原告は、本件事故により頭部外傷、第四腰椎圧迫骨折、頸髄性痙性麻痺、左大腿挫傷の傷害を受け、精神障害、歩行障害等の後遺症(一級三号相当)により労働能力の全てを失つた。原告は、昭和一〇年五月六日生れの男子で肉体労働に従事しており、その労働能力は平均人の五〇パーセント程度であつたから、同年令の労働者の平均賃金の五〇パーセントにあたる月額金九万二一〇〇円の収入の二九年分を喪失したことになり、新ホフマン方式(係数一七・六二九)によりその現価を算出すると金一九四八万円を下らず、同額の損害を被つた。右後遺症の慰謝料としては金一一七五万円を相当とする。原告は、本訴提起にあたり、原告代理人との間で弁護士費用金三〇〇万円を支払うことを約した。よつて、原告は被告ら各自に対し右合計金三四二三万円と弁護士費用を除いた金三一二三万円につき、弁済期の経過後で本訴状送達の日の翌日である前記請求の趣旨記載の日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
と述べ、抗弁事実中、後遺障害につき自賠責保険金二九一万円の支払いを受けたことは認めるが、その余は否認すると述べ、時効に関し、
原告は、少くとも昭和五一年二月まで、治療を受けているのみならず、その後も治療を受けており、後遺症の症状固定時は昭和五三年六月六日であるとの医師の診断もあり、原告が本件事故と後遺症の因果関係を知つたのは、昭和五三年一〇月二六日医師に知らされた時が始めてである。よつて、いずれの点からしても、時効完成の余地はない。
と述べた。〔証拠関係略〕
二 被告らは、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、原告主張の日時場所において原告の乗つた自転車と被告会社が保有し従業員である被告白川が業務のため運転していた普通貨物自動車が衝突したことは認めるがその余は争う、と述べ、抗弁として、
本件事故は、原告の一方的過失により発生したもので、被告白川に過失はなく、普通貨物自動車に構造上の欠陥や機能上の障害はなかつたから、被告らに責任はない。すなわち、被告白川の進行道路は片側二車線で、被告白川は内側車線を進行していたところ、外側車線を先行していた原告が、年齢と不均合の前かがみの自転車に乗り、突然ハンドルを右にきり、被告白川の進行車線に進入してきたため、被告白川はとつさのことで避けきれず衝突したものである。被告白川は本件事故につき刑事責任を問われていない。仮に、被告らにも責任があるとしても治療完了後もしくは原告が後遺症を知つた日から三年を経過しており(この点に関する原告の主張は争う)損害賠償請求権は時効消滅したから、被告らはこれを援用する。仮に、右が理由がないとしても、前記事故態様に鑑み、相当程度(九五パーセント)過失相殺されるべきである。又、原告は、後遺症につき自賠責保険金二九一万円の支払いを受けた。
と述べた。〔証拠関係略〕
理由
一 昭和四八年五月一七日午前八時一〇分ころ、埼玉県大宮市南中野六四六番地先の第二産業道路車道上で、被告会社が保有し従業員である被告白川が業務のため運転していた普通貨物自動車と原告が衝突する交通事故が発生したことは当事者間に争いがない。
本件事故状況の詳細は、事故後になされたはずの実況見分調書等刑事記録が提出されないため不明であるが、成立に争いのない甲第二号証、原告主張の写真であることに争いのない甲第三号証の一ないし四、証人鈴木吉郎の証言、原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)、被告白川本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、本件事故現場の第二産業道路は、分離帯のない片側二車線の道路であるが、事故当時は、事故現場から東京方面に向け約五〇〇メートルしか建設されておらず道路にそつた歩道も未舗装であり、交通量も少なかつたこと、事故現場付近は直線で、前後の見通しは良好であつたこと、原告は、事故前、第二産業道路を大和田方面に向け、自転車に乗つて進行していたが、小雨が降り出したため、かさを取りに帰ろうとして、向きをかえ、東京方面に向け、外側車線中央付近を進行しはじめたものの、安定を欠き内側車線に入つたところ、後方から進行してきた被告白川の運転する自動車が原告の乗つた自転車の後輪右側付近に衝突したこと、原告は自転車と共に道路左側縁石付近まで飛ばされ路面に打ちつけられて、頭部外傷、第四腰椎圧迫骨折、頸髄性痙性麻痺、左大腿挫傷の傷害を受けたこと、被告白川は、事故現場手前約二〇〇メートルの辺りで、自転車に乗つて外側車線中央付近を同一方向に進行している原告を発見していたが、内側車線に進入することはないものと考え、時速六〇キロメートル位の速度のまま進行し原告が内側車線に進入したのを発見し急ブレーキをかけたが、雨で路面がぬれていたこともあつて、その効果なく、そのまま衝突した、以上の事実が認められる。
原告は、本件事故当時、たばこを喫おうとして、車道左端で停止していたと主張し、原告本人は同旨供述をするけれども、右は前記道路の見通し状態や交通量等並びに被告白川本人尋問の結果に照らしてにわかに措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
被告らは、原告が急に右に車線変更したため被告白川には本件事故を回避する余地がなかつた、よつて被告らに責任はないと主張するけれども、被告白川は、前方を同一方向に向け、外側車線中央付近を進行する自転車を発見したのであるから、同被告としては、自転車の動静に注意し、その動静に従つて対処できるよう安全な速度で進行するか、警笛を鳴らすかし、さらに安全に追抜ける間隔を保持して進行すべき注意義務があつたというべきであり、被告白川に右注意義務を怠つた過失があることは明らかであるから、被告会社の免責の主張はその余の点を判断するまでもなく理由がなく、被告らに本件事故の責任が認められる。
一方、右事故態様に鑑みると、原告にも道路左端を的確な操作で進行すべき義務を怠り、車道中央寄りを不安定な状態で進行した過失があり、これも本件事故の一因と考えられるから、損害の算定にあたつてはこれを斟酌すべきところ、過失の割合は被告ら六に対し原告を四とするのを相当と認める。
二 成立に争いのない甲第五、第六号証、第九号証、原本の存在と成立に争いのない同第七号証、証人鈴木吉郎、同堀岡吾朗の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、現在、原告の上下肢に可動制限はないが失調で、指による釦かけ、紐結び等日常動作に時間がかかり、胡座はかけないし、腰が動揺し不安定で五〇〇メートルから一〇〇〇メートルが歩行限度で階段も手すりがないと昇り降りできない状態で、これら中枢神経性の神経障害による不具合が認められる他、高度痴呆(知能指数六〇以下)の状態で、嚥下障害、言語障害等の精神障害が認められ、右状態の回復の可能性はなく、介助を要し、稼働能力はないこと、原告は、事故後、宇治病院に入院し、昭和四八年七月四日から八月二二日までの間大宮赤十字病院脳外科で検査を受けた他、昭和四九年三月から昭和五一年五月まで大宮赤十字病院整形外科で通院治療を受けたが、歩行障害や言語障害等を訴えてはいたものの治療期間中の程度は現在程ひどくはなく、昭和五一年六月から昭和五三年六月までは治療を受けていなかつたこと、もつとも、その間も症状は悪化進行し、昭和五三年一月ころには現在のような重い状態となつたこと、事故前、原告は知能が劣つてはいたがその程度は現在と比較すると軽く、知能の点以外には前記のような障害はなかつたこと、埼玉中央病院の医師は現在認められる障害と本件事故との間に因果関係が認められるとの診断を下しており、自賠責保険の関係でも因果関係が認められるとして保険金が支払われていること、以上の事実が認められる。
右認定の事実によれば、原告は本件事故による後遺症により昭和五三年一月以降労働能力を全廃したものというべきである。
右時期以前についても、前記認定のとおり、事故の影響による労働能力の欠除を否定することはできないが、その程度を認定する証拠はないうえ、大宮赤十字病院、埼玉中央病院の医師ともに、症状固定の日を昭和五三年六月六日と認定していること(もつとも、右時期を症状固定の日としたのは、それ以前の治療をしていないためとも考えられ、直ちに右六月六日を症状固定の日としなければならないものではないと考えられる)、以上を考慮し、昭和五二年以前の障害については、後遺症とは認めないこととする。
よつて、被告らは、原告に対し、本件事故による昭和五三年一月以降の後遺症による損害を賠償する義務がある。
三 被告は、右損害賠償請求権は時効により消滅したと主張するけれども、原告の前記後遺障害は、前記認定のとおり、医師の治療を受けた最後の日から一年半後になつて問題とされるに至つたもので、事故に伴ない当然に予想される程度のものであつたとは認められないから、その時効の起算点は昭和五三年一月一日と解すべきであり、時効が完成する余地はない。
四 そこで、後遺症による損害について判断する。
成立に争いのない甲第八号証、同乙第一号証に証人堀岡吾朗同鈴木吉郎の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告は昭和一〇年五月六日生れの男子であるが知能が低く、本件事故前、大宮市東町に存する建設会社に土工として勤め、平均一か月金五万六七五四円の給与を得ていたが右は、同年齢の男子労働者の平均給与のほぼ五〇パーセントである(昭和四八年度賃金センサス企業規模計産業計、小学新中卒男子労働者三八歳のきまつて支給する現金給与額は金一一万四六〇〇円である)から、原告の昭和五三年一月一日以降六七歳に達するまでの一五年間の後遺症による逸失利益を金銭評価するには、同年齢の小学新中卒男子労働者の平均給与を基礎とし、その二分の一を喪失したものとしてこれを算定するのが相当である。各年度の賃金センサスによれば、昭和五三年度(原告四二歳)の四二歳の小学新中卒男子労働者の「きまつ支給する現金給与額」は一か月金二〇万三二〇〇円、同五四年(四三歳)は一か月金二一万七五〇〇円、同五五年(四四歳)は一か月金二三万四七〇〇円、同五六年(四五歳)は一か月金二四万六〇〇〇円であるから、昭和五六年以降六七歳までは昭和五六年度の金額の給与を受けるものとして、新ホフマン方式により、原告が遅延損害金の起算日として主張する日に近い昭和五四年一月一日当時の逸失利益の現価を算出すると金二三九九万四四九五円となる。なお、原告は、逸失利益の請求にあたつて、年間賞与その他の特別給与額を算入しておらず、このことに原告の職種を考え併せると、原告は賞与等を受給していなかつたもののようにうかがわれるので、賞与その他特別給与額は算入しない。
本件事故と関係のある後遺症に対する慰藉料としては、本件後遺症の程度と従前存した原告の障害の程度等を考慮し、金七三〇万円をもつて相当と認める。
以上によれば、後遺症による原告の損害は、合計金三一二九万四四九五円となるから、被告らは、過失相殺によりこれから四割を減じた金一八七七万六六九七円を賠償すべきものとなる。
弁護士費用としては、本件事故及び訴訟の内容を考慮して金一八〇万円を相当因果関係にあるものと認める。
原告が自賠責保険から後遺症に対する補償として金二九一万円を受領していることは当事者間に争いがないから、これは前記損害から差引くこととする。
以上によると、被告らが原告に対して支払うべき金額は、金一七六六万六六九七円となり、弁護士費用一八〇万円を除いた金一五八六万六六九七円については、弁済期の経過後で本訴状が送達された日の翌日である請求の趣旨記載の日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を付して支払わなければならないこととなる。
五 以上によれば、原告の本訴請求は主文第一項の限度で理由があるから正当として認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 野田武明)